[ テーマ: 日々いろいろ ]
2011年2月17日00:22:00
久しぶりに、恩師 神沢和夫氏翻訳で、ラバンの 『身体運動の習得』を読んでいる。
学生時代、訳もわからず読んで
その後何回か読み返している。
何回か読み返すのは、読み返さなければならない本だから。
私の本棚には、そんな本がたくさんある。
そんな本の中には、手塚治虫を含む漫画もあるし、
ニーチェやスピノサなどの哲学書もあれば、
人気小説、写真集、詩集、MOMAで買ってきた画集、絵本・・・。
その本たちを、私は捨てることはない。
だって、また読み返さなければならない、重要な要素が潜んでいることが多いから。
本なんか捨てれば。
邪魔だし、売れば。
そう言われた事がある。
その度に、「だめ。必要だから」という。
今、心理療法をやっていて、高校生の頃熱中した、安部公房の本が、役に立つことがある。
父親の研究室から拝借した、東洋医学大事典などは、
今、教本の様になるとは、当時、想像だにしなかった。
からだの事が書いてあるし、からだの絵がいっぱいー♪
その程度の関心だったのに。
本という友達は、“商売道具”となって、
ちょいとなじみの寿司屋のような
妙ちくりんな親近感をも確立している。
で、やっぱり、今やってることに必要だと、実感する。
作品を創るときも、メソッドを発見し挑戦してみたくなったときも、教育の現場でも、
本は、私をヘルプしてくれる。
誰も教えてくれる領域ではない、どこにも師がいない現在の仕事。
(基礎としての概念はあっても、方法論は全てのセラピストが独自に開発するから)
自分が産み出さなくてはならない作業を、ずっと続けなければいけない私を
少しでも助けてくれる本。
クリエイションする事への、良き理解者、良きアドバイザー、良きメンター、良き友人。
それが、本だと実感する。
恩師が翻訳した、ラバンの本も、20年前に捨てずに
今、ここにこうしてあって、私を助けてくれている。
恩師にも感謝、本にも感謝。