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3.11

[ テーマ: メンタルヘルス ]

2011年3月15日19:25:00

3月9日、ハワイで妹の結婚式を終えて帰国。

東京で途中下車し、仕事のミーティング。

そして、

3月10日、その夜最終で大阪へ戻った。

次の日、「なんだか大きな地震が関東であったみたい」

そんなニュースを聞いて、

東京にいる、知人、友人のことが心配になった。

メールが届かないようで、返事が返ってこない。

電話をしたら、偶然一回で通じた親友の電話に一安心し、

その後、30回以上コールして通じた知人の声を聴いて、涙が出た。

 

はたまた、ニューヨーク、ザルツブルグ、イギリス、タイ、

いろんな国の友達が、私に安否の連絡をくれる。

そのありがたさに、また涙する。

 

これからの日本で、私ができること、しなければいけないこと、

探さなければと思っている。


勉強!

[ テーマ: メンタルヘルス ]

2011年3月8日18:26:00

先日から再読中の 


『身体運動の習得』 ルドルフ・ラバン著


ここで、ラバンは言っている。


産業と芸術の分野における身体運動において共通しているものがある。



それが “教育”だと。



「あああああ!!!私が欲していた言葉は、これだ!」


と、まるで、救われたかの様に感じてしまい、更に感動。


産業と舞台芸術としての身体運動を仕事としてた、ラバンらしい言葉。



ステージの仕事、振付の仕事、ダンスの指導、舞台クリエーション、執筆、研修講師、


そして心理療法のセラピスト。




私が目指している、産業の中の心理療法の認知は、


ラバンの言っている角度とは、また違うけれど


間違ってはいないのかも。


と、再認識できて、本当に良かった。




18歳の頃から、やり続けて21年。


紆余曲折あって、今がある。


だけど、表現活動だけはやめなかった。




アイデンティティないと言われたことに、最近へこんでいたけど、


「あなたにアイデンティティがあることを証明してあげるけどーWwww」


と笑ってくれた友人、



「アイデンティディがなければ、こんな食えないかもしれない職業を選ぶ事なんてできないし。」


と言ってくれた親友、



「そう言う枠組みや、仕組み、つながりを理解できない人もいるんだと認識できて、勉強になったやん。」


と言ってくれた先輩セラピスト。


 

ありがとうございました。


みなさん、私の愚痴におつきあいくださり・・・・。


ほんとに、いい人達だ。




いやー、勉強、勉強ですなぁ。







PTSD  

[ テーマ: メンタルヘルス ]

2011年3月1日21:27:00

先日の本の続き。


恩師の訳本『身体運動の習得』(白水社)は、


日本では数少ない、ルドルフ・ラバンの翻訳本ではあるが、


ベストセラーでも何でもない。




この本で、恩師が大金を得たかと言うと、おそらくそうでもない。



しかし、数少ない「身体運動」に関する研究者の間では



議論され、研究する対象になったことは間違いなく、



この本の売れた数は、「評価」には値しない。






全ては、「数字」という実績で、世の中は評価できない。



数字に翻弄され、評価を得なければ「実績」と見なさない、



そんな「評価」が全て、「評価」=愛情だという公式をはじき出すクライエントは




無条件の愛=評価のない愛を、受け取り損ね、



DVに纏わるPTSDを持っていることが多い。

誰かがそばで、「無条件」に愛を示してあげると、

 

きっと、その人も「愛する」という行為が解ってくるのだと。

 

ただ、本人が歳を取っていると、自分の定規に合わないことを拒絶することが多く、


自分の定義のみで「この人はこうだから」と決めてしまう。

 

それは、「評価」が必要だからと考える故なのだろう。

 

(そういう人に限って、「目にしたものしか信じない」とかいうんだけどねー。)

 

もちろん、「評価」は社会的には必要。

 

しかし、近しい人には、それは必要がない。

 

それが、「かけがえのない」という無条件のものだと思うので。

 

それが、根っこになって、人は社会で生きていけると私は考えるし、

 

根っこがなければ、水は吸い上げられないとも思う。



根っこを評価の対象としない。

 

そんな愛を、誰かに与える。

 

無条件の愛情を示す。

 

女性には、子供を産むという仕事があるため、

 

その愛情が、DNAに組み込まれていると言われます。

 

そんな、DNAをもっている、女性でよかったな。

 

最近、思います。

 


[ テーマ: 日々いろいろ ]

2011年2月17日00:22:00

久しぶりに、恩師 神沢和夫氏翻訳で、ラバンの 『身体運動の習得』を読んでいる。


学生時代、訳もわからず読んで


その後何回か読み返している。


何回か読み返すのは、読み返さなければならない本だから。



私の本棚には、そんな本がたくさんある。



そんな本の中には、手塚治虫を含む漫画もあるし、


ニーチェやスピノサなどの哲学書もあれば、


人気小説、写真集、詩集、MOMAで買ってきた画集、絵本・・・。



その本たちを、私は捨てることはない。


だって、また読み返さなければならない、重要な要素が潜んでいることが多いから。




本なんか捨てれば。


邪魔だし、売れば。




そう言われた事がある。


その度に、「だめ。必要だから」という。


今、心理療法をやっていて、高校生の頃熱中した、安部公房の本が、役に立つことがある。


父親の研究室から拝借した、東洋医学大事典などは、


今、教本の様になるとは、当時、想像だにしなかった。


からだの事が書いてあるし、からだの絵がいっぱいー♪


その程度の関心だったのに。



本という友達は、“商売道具”となって、


ちょいとなじみの寿司屋のような


妙ちくりんな親近感をも確立している。




で、やっぱり、今やってることに必要だと、実感する。




作品を創るときも、メソッドを発見し挑戦してみたくなったときも、教育の現場でも、


本は、私をヘルプしてくれる。


誰も教えてくれる領域ではない、どこにも師がいない現在の仕事。


(基礎としての概念はあっても、方法論は全てのセラピストが独自に開発するから)


自分が産み出さなくてはならない作業を、ずっと続けなければいけない私を


少しでも助けてくれる本。



クリエイションする事への、良き理解者、良きアドバイザー、良きメンター、良き友人。


それが、本だと実感する。



恩師が翻訳した、ラバンの本も、20年前に捨てずに


今、ここにこうしてあって、私を助けてくれている。


恩師にも感謝、本にも感謝。


定規

[ テーマ: 日々いろいろ ]

2011年2月14日22:00:00

今まで、「アイデンティティ強すぎ。ちょっとゆるめて」


なんてことは、何度か言われたことはある。


(意味不明な言葉だけどね・・・こだわりすぎってことかもねん)




「アイデンティティなさすぎ。なにがやりたいのわからない」


そう、ある人に言われて、ご飯を食べられずにいたら


友人のピアニストが言った。



「その人、ホントにくみちゃんが何をやってるのか、知らないんだね。

たぶん、趣味程度でいろいろやってると思われているよ。あははー」


そんな・・・あははーて・・・。


あははーで済まされることか・・・それ。




アイデンティティがない=全人格否定




という公式が浮かぶ私にとっては重大事件なんですけど。



「作品をみてもらえば、わかるんじゃない?」


と言った友人。


果たして、それで解るのか・・・。うーん。


謎だ。


観てもらったところで


「意味わかんない」で、済まされそう。




何をやりたいか?


芸術療法だってば。


お絵かきして、お歌歌って、楽しく踊って、


なんだか、眉唾もんと思われてる感ありだ。




コンテンポラリーダンス/モダンダンス(創造的ダンス)が、


なぜダンスセラピストの資格取得に必須なのかなんて全く興味がないはず。


そこに、人間の創造性=精神が写し出される。その表現がダイレクトに表出するからです。(表現病理学)


そこを体験しないと、セラピーテイクにたどりはつけない。


それを忘れると、芸術療法法を行うセラピストとしては意味なし。



芸術創作には定規をひとつだけを使うことはありえない。


三角定規、雲形定規、分度器、コンパス・・・、それらを全く使わないこともあれば、


もっと、新しいもの、未知の定規が生まれることもある。

「私、弁護士になる!」とか言い出したなら


一貫性がないと言ってほしい・・・。

 

 

いろんな定規を使ってみて。


私は、いろんな定規を使ってみてるんだけどな。


自己同一性

[ テーマ: メンタルヘルス ]

2011年2月9日14:39:00

私は芸術療法を行うセラピストです。

芸術療法とは、人が楽しめるクリエイションを行う過程を利用し心理療法を行うもの。

別名「アートセラピー」とも言われます。

その中にも、分野が多く存在します。

音楽、箱庭、絵画、舞踊、文芸、詩歌、造形・・・

あげるときりがありません。

それがの複数を用いて、行うのは「表現アートセラピー」といいます。

そして、私は身体を利用する舞踊運動が専門です。

ここに、体育的な要素とスポーツ医学的要素が孕んできます。

 

これら「芸術表現」は文化教室などで、趣味として“楽しく”行うこともでき、

生活の潤滑油的存在として、根強い人気があります。

しかし、「芸術表現」にはクリエーション作業というとても苦しい行程を含みます。

それをも楽しめる、“趣味”の領域だけなら、おそらく心理療法として、

芸術療法は確立しません。

 

作品を作るときのクリエーション作業のハードさは、プロのアーティストたちが

常にぶち当たる壁でもあります。

また、このクリエーション作業というのは、多くの仕事の中でも

とても重要な部分を占める作業だと思います。

 

私は、プロのアーティストではないけれど、

あの、行程のハードな部分に少しでも触れることは、

心理療法に携わるものとして、芸術療法を行うものとして、

必要不可欠だと考えています。

 

だからこそ、

私がアマチュアでも、そういったクリエイション作業の部分だけを認めて

仕事を依頼してくださる方々には、誠意をもってできる限りのことをしたいと

考えますし、仕事も受けます。

 

舞台芸術という、総合芸術を学んだことは、

広い表現方法を学べたという点で、

芸術療法家として活動にはとてもラッキーな事でした。

 

文章を書くこと、絵を描くこと、造形物を作成すること、踊ること、芝居すること、

生活の中で空間を演出すること、生活環境はアートだという感性をもてること、

色々な面で、クリエイション作業を行うことは、全てがセラピーの現場につながります。

 

そこで起こった事が、芸術療法を行う現場で、

大きな発見や、力になっていることははっきりした事実です。

引き出しを多く持ち合わせていなければ、グループセラピーで

多種多様なクライエントと向き合ったときに、瞬発性が発揮できません。

 

いろんな事をやっていて、一貫性がない。アイデンティティがない。

 

そう言われて、うまく説明できないのは、私の責任です。

実際、芸術療法だけでは厳しいのが事実ですから

何を言われても、返す言葉は全て言い訳です。

 

芸術表現を通して、心理療法を行うこと。

芸術表現で生まれる、想像と創造の過程を利用して、

人材教育の現場で多くの人と接したいということ(心理療法の応用)

 

私には、それしかできないです。

 

人は、みな違う定規を持っている。

そう教えてくれた人に

自分のことを説明できないでいる。

自己同一性がないからだと言われても、

返す言葉が見つかりません。

 


虫パン

[ テーマ: 日々いろいろ ]

2011年1月27日23:09:11

10年前、とっても忙しく働いていた私は、

プライベートでも、とってもしんどくて、

食欲がなくなり、8キロほど激やせし、

「やばい。これはヒジョーにやばい」

と、出勤前にコンビニへ。

大好きな蒸しパンなら食べられるだろう。

そう思って、野菜ジュースとチーズ蒸しパンを購入し出社。

 

そして、昼休み。

食欲ないけど・・・生きてかなきゃぁ・・・。

そう思い、蒸しパンの封を開け

いざ。

 

すると、蒸しパンは「虫パン」になっていた。

 

大きく開けた口のまま、「あぁーーーーああーあああああ・・・」

隣にいた同僚が、「どうしたのくみくみ?」

「ああああーーーぁああ蒸しパンが虫パンになってるー・・・」

 

せっかく、久しぶりに食物を口に入れようとしたのに。

大好きな蒸しパンには、小さなハエくんが埋もれて蒸されていました。

あまりに腹がたち、すぐに木●製パンさんに電話。

「あのー、蒸しパンが虫パンになってますっ!」

そしたら、一時間以内に菓子折りを持った

埼玉工場の工場長と東京本社の責任者が現る。

(当時の職場が、浜松町だったので来れないこともないか)

 

おやつタイムは、みんなに感謝されつつも、

また食欲が減退し、大好きな蒸しパンは3年ほど食べられなった。

 

そんな、食品に関するコンプレの思い出。

先日、ある食品に問題があった。

その会社の対応がまた素晴らしかったっ。

 

もちろん私は“やから”ではないし、“クレーマー”でもないよ。

でも、些細なことでも真摯に応えてくれる会社って

信頼できるよねぇ。

大きな会社にはない、温かさもあって、更にファンになる。

 

会社も人ととして、まっすぐだったら、わたしのような末端の消費者にも

こころは届くのよねん。

 


時空

[ テーマ: 日々いろいろ ]

2011年1月16日15:55:48

年があけて、もう半月も過ぎたっ!

そんな、日曜日。

読めていない本とか、論文とか、資料とかいろいろ目を通さなきゃーと思いつつも、

ついつい映画を観てしまった。

 

『時をかける少女』

むかし、原田知世さんのかわいい笑顔に、釘付けだったけど、

現代版のアニメはなかなかでした。

あの制作チームはいい作品つくるなぁ。オトナのアニメ。

そして、今日観たのは実写の現代版。

 

時空を越えて、いろいろ考えちゃう。

 

時といえば、明日は父親の命日。

もう16年もたっちゃった。

早い。

 

私の手を握りながら死んだ父の、

最後の光景は、テレビドラマみたいに、壮絶で

未だ鮮明に記憶に残る。

 

ベットに広がる赤い色も、

眼球の飛び出す様も、

窒息する時の器官の痙攣も、

こんなに時間が経過しているのに映像は鮮明。

 

『時』というのは、どんなベクトルなのかなぁ。

とよく考える。

長さ?深さ?

 

先日某専門学校の『傾聴』の講座では、

「時間の長さより、深さ」

ってことを、テクニックとしてどうするのかを教えたのだけど・・・。

それが、ラポールの構築には必要だと思うのでねん。

そりゃ、簡単にはいきませんわなぁ。

(簡単にできたら、私の仕事なくなるしな)

 

時空が越えられたら、楽しいかもしれないけど、

すでに時空を越えて生きていて、

さらに越えるとなると、私的には踊るしかないね(笑)

 

さて、時を越えて800年前の法然さんや親鸞さんたちの頃のコトでも

お勉強してイメージ膨らまそう。

 


あけました。いえ、あけてます。

[ テーマ: 日々いろいろ ]

2011年1月6日21:04:00

あけましたね。平成23年。

いえ、既にあけてます。

 

あけおめ

↑ま、今年はこんな感じ。宇宙から見た地球!!

昨年は色々なことに遭遇し、

色々なことが始まった年でした。

 

「未来に拡がる」

 

そんな、始まりの年でした。

 

そして、今年。

素敵な40代になれるようにがんばろう。

いえ、なるんですっ。

魔女に、お化けになるんですっ。

 

今年は、のっけからイベントプロデュースの仕事も頂き

クリエイティブ脳が全開ですので、

きっと、お化けにはなれると思います。

 

化けて、少しは多角的な未来に、繋がればいいなと

思っている、年初めです。

 

 


集金

[ テーマ: 日々いろいろ ]

2010年12月29日22:11:00

今年もあと2日。

はやい。

 

先日、7年アシスタントとして勉強させていただいていたバレエ教室を卒業しました。

最初、3人からスタートしたバレエ教室。

どんどん、口コミで人数が増え、あっという間に50名を越えることになりました。

「大きくしたくない」という主宰の意向もあって、教室を大きくすることもなく

通常のバレエ教室の、恐らく4分の1くらいのお値段で、リーズナブルに、

「こどもにとって、なにが大切か」というのをテーマに走ってきました。

3歳~8歳までしか入れないというこだわりも

こどもにとって、情操教育とはなにかについて、こだわった結果であり、

主宰の友人と、いろいろと考えてのスタイルでした。

 

 こどもの手

 彼女たちの手からたくさんのことを教えてもらいまいました

 ポーズ

この教室で、「幼児教育」について多くを学ばせて頂いたことが

若年齢へのダンス療法という心理学的な勉強のベースとなりました。

それに加えて

高齢者施設や、知的障害者のグループ、病院内緩和病棟での

ボランティア活動を通じても、本当に多くを学ばせてもらいました。

 

7年間の間に、他ではできない臨床経験を積み上げることができたことに

なんとラッキーだったのかと、しみじみ思います。

 

 

そして、今年、ようやく『ダンスセラピスト』として

ダンスセラピーの最高位の認定を受けることができました。

途中、あきらめかけたこの資格。

時間ばかりが過ぎて行く。

他の心理療法の資格と違い、

臨床経験の時間数を400時間以上(必要な人は800時間!)問われるこの資格に、

断念してしまう友人もいて、正直、もう無理・・・と思ったことも。

 

でも、少しづつでも続けて良かった。

先日、卒業したバレエ教室のこども達が、たくさん応援のお手紙をくれました。

「つぎのおしごとがんばってね」とか「わたしもがんばるね」とか書いてあったりする。

ホントにがんばらなきゃよね。

こどもたちのてがみ

また宝物が増えた。

はなたば

ついでに、手作り花束も。最近の幼稚園では「折り紙」が流行しているらしい・・・。
日本文化万歳!

本物の花束よりも、うれしさ100倍。

手紙

まだ、字を習っていないのに最近のこどもの英才教育たるやすごいぞっ!
だいすき!って、あーん。私もだいすきさ。

 

今年も終わって、来年はうさぎ年。

ぴょーっんと、飛びはねなきゃね。

これから、

費やした8年分『集金』をする年月が始まります。