[ テーマ: メンタルヘルス ]
2011年3月1日21:27:00
先日の本の続き。
恩師の訳本『身体運動の習得』(白水社)は、
日本では数少ない、ルドルフ・ラバンの翻訳本ではあるが、
ベストセラーでも何でもない。
この本で、恩師が大金を得たかと言うと、おそらくそうでもない。
しかし、数少ない「身体運動」に関する研究者の間では
議論され、研究する対象になったことは間違いなく、
この本の売れた数は、「評価」には値しない。
全ては、「数字」という実績で、世の中は評価できない。
数字に翻弄され、評価を得なければ「実績」と見なさない、
そんな「評価」が全て、「評価」=愛情だという公式をはじき出すクライエントは
無条件の愛=評価のない愛を、受け取り損ね、
DVに纏わるPTSDを持っていることが多い。
誰かがそばで、「無条件」に愛を示してあげると、
きっと、その人も「愛する」という行為が解ってくるのだと。
ただ、本人が歳を取っていると、自分の定規に合わないことを拒絶することが多く、
自分の定義のみで「この人はこうだから」と決めてしまう。
それは、「評価」が必要だからと考える故なのだろう。
(そういう人に限って、「目にしたものしか信じない」とかいうんだけどねー。)
もちろん、「評価」は社会的には必要。
しかし、近しい人には、それは必要がない。
それが、「かけがえのない」という無条件のものだと思うので。
それが、根っこになって、人は社会で生きていけると私は考えるし、
根っこがなければ、水は吸い上げられないとも思う。
根っこを評価の対象としない。
そんな愛を、誰かに与える。
無条件の愛情を示す。
女性には、子供を産むという仕事があるため、
その愛情が、DNAに組み込まれていると言われます。
そんな、DNAをもっている、女性でよかったな。
最近、思います。